FN P90のマガジン周りは革新的な構造って言われることもあるけど、その源流は1950年代には登場してたんだよって感じの、珍しい銃についての記事。
ヒルH15はテキサスの技術者であり発明家でもあったジョン・L・ヒルが1952年に設計した試作サブマシンガンである。
使用弾薬は9×19mmパラベラム弾ないし.380ACP弾(9×17mm)で、作動方式はシンプルなブローバック方式である。
フルオートピストルとして使うことを想定していたためセミオート射撃機能はなかったが、発射速度は約400~500rpmでコントロール性に優れていた。
これらの弾薬は当時としてはユニークな、銃上部に取り付けられるマガジンに横向きで収納されていた。
弾倉内の銃弾は後のFN P90などと同様に回転ディスクを介して前方を向き、薬室に送られる。
ただしP90の回転ディスクがマガジン側に備え付けられているのに対し、ヒル15では銃側に付いているという違いがある。
マガジンは透明なプラスチック製で、残弾を確認することが出来た。
またマガジンは弾を装填した上でアルミ製のキャップで封印され、異物の混入を防いでいた。
このキャップはマガジンの挿入とともに除去されるが、その後残弾のある状態でマガジンを抜くと弾が飛び出してしまったという。
銃の外部に可動部が少ないのも特徴で、空薬莢はグリップから排出された。
これらの特徴から泥やホコリといった汚れや水に強く、過酷な環境でも確実に動作することが期待されていた。
またボルトとは独立して動作するレシプロ式でないチャージングハンドルと、セーフポジションを中央に配置するなど珍しい両利き用のセーフティを備えていた。
独特の短所として上下をひっくり返して撃つと作動不良を起こしたり、グリップを水平に構えると排莢不良を起こす事が挙げられる。
しかしこれらはあまり重視される要素ではなく、銃自体やマガジンの複雑さの方がよほど問題であったと思われる。
当初のモデルでは金属製のレシーバーとプラスチック製のグリップを備えており、無装填時の重量は9mmパラベラム弾モデルが約2.27kg、.380ACPモデルが約1.8kgであった。
しかし後方にマガジンが張り出したマシンピストル型モデルは斬新過ぎて軍には受けないと思ったのか、1953年12月には木製のストックとグリップを備えたオーソドックスなサブマシンガン型のモデルが試作された。興味深いことに、この試作銃にはMP40の銃身が流用されていたという。
試作銃はスプリングフィールド造兵廠で試験されたが、戦中に製造されたM3グリースガンが大量に余っていたため、軍や法執行機関はわざわざ新しいサブマシンガンに興味を示さなかった。
それでもヒル氏は1953年から1960年代初頭にかけて開発と特許取得を進め、FN社を始めとしたいくつかの銃器メーカーが、それに興味を示し購入した。しかしFN社はUZIのライセンス品を設計開発するのに忙しく、この銃自体への興味は失ってしまった
他のメーカーでも大規模な製造は行われず、累計100丁ほど作られたうち、残っているのは10数丁くらいとされている。
結局試作に終わってしまったヒル15だが、設計は似た構造の銃器に影響を与えた。
少なくともヒル15のプロトタイプがFN社に数年間預けられ、調査が行われたことは間違いなく、さらにP90の給弾システムに関するFNの特許には、ヒル氏の持つ2つの特許が引用されていることからもそれは明らかである。
なおヒル氏は石油技術者でもあり、エネルギー関連の様々な特許を取得している。また第一次世界大戦ではカナダ空軍の戦闘機パイロットでもあった。そんな彼は1991年に96歳で亡くなっている。
・参考文献、画像引用元
https://guns.fandom.com/wiki/Hill_H15
https://ja.topwar.ru/157381-pistolet-pulemet-dzhona-l-hilla-i-neobychnyj-r90.html
https://www.historicalfirearms.info/post/131708571508/hill-submachine-gun-9mm-records-of-the
http://www.smallarmsreview.com/display.article.cfm?idarticles=2060
https://www.forgottenweapons.com/hill-smg-pistol-inspiration-for-the-fn-p90/
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