A7中戦車(Medium Tank A7)

戦車

日本語文献が少ないのでDeepL翻訳(ry。戦間期のイギリスで開発された中戦車、もっと長い記事にも出来るんだけど、こんなもんでちょうどいいかしら?

 A7E1 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

中戦車A7(以下A7戦車)はビッカースA6「16トン戦車」や中戦車Mk.IIIと同じ時期に開発された、同社で生産された戦車。これは中戦車Mk.IIの置き換えを目的としたもので、基本設計は中戦車A6に大きく似ていた。この時、参謀本部は性能を維持しつつより安価な戦車を求めていた。

A7E1 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

3つのプロトタイプが生産されたが、A7E1とA7E2は1929年から1931年にかけて製造された、非常に類似した車両であった。A7E3は1933年から1937年にかけて開発・製造されたもので、先の二つの改良型であった。

A7E1 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

3両とも基本的なレイアウトは似ていた。 車体は基本的に平面で構成され、前面のみが僅かに傾斜していた。砲塔は上から見ると長方形で、傾斜した側面と指揮官用キューポラを備えていた。 中戦車Mk.IIIなどの設計とは異なり、A7は機関銃塔を搭載していなかった。キューポラ等の設計上、この戦車の視界は非常に悪かった。

 A7E1 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

最初の2つのプロトタイプはアームストロング・シドレーエンジンを搭載していた。 基本設計は良かったが、試作機は信頼性に欠けるものであった。武装は47mm砲と7.7mmヴィッカース機関銃で、砲塔正面から雑に突き出している。また車体にも7.7mmヴィッカース機関銃が備えられた。

 A7E3 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

3番目のプロトタイプは、より重く、より厚い装甲を持ち、ガソリンエンジンの代わりに水冷AES C1ディーゼルエンジンを2基使用し、最初の2つのプロトタイプよりも高い出力を得た。その設計にはA6や中戦車Mk.IIIの開発作業中に学んだ教訓が取り入れられていたが、初期のプロトタイプと同様に、機械的に信頼性が低いことが判明した。資料によっては2ポンド砲(40mm口径)を搭載していたとされ、その貫通力は当時のあらゆる戦車にとって脅威だったが、照準距離は900mと短かったという。

 A7E3 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

A7戦車の試験は1937年まで続いたが、技術的な問題は解決できなかった。 また世界的な金融危機により陸軍への支出が大幅に削減され、他の多くの戦車開発計画と同様にA7もその影響を受けた。 結局、アームストロング・シドレーがA9中戦車の設計を発表したため、A7の開発計画は中止された。

A7E3 https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy より

A7は生産には至らなかったが、A9 巡航戦車 Mk I、A12 マチルダ歩兵戦車、バレンタイン歩兵戦車、A14重巡航戦車、A17 Mk.VIIテトラーク軽戦車の開発にかなり影響を与えた。 特にA7のいずれかのプロトタイプをデザインのテストベッドとして使用したマチルダへの影響は最も大きかったという。

・諸元
名称:Medium Tank A7 
設計開始:1929年
試作:1931年
製造数:3
乗員:5
重量:14t(1,2号車), 18.2t(3号車)
エンジン:アームストロング・シドレー空冷エンジン(120馬力/1,2号車), AEC C1ディーゼルエンジン×2(250馬力/3号車)
最大速度:約40km/h
砲塔武装:47mm砲 7.7mmヴィッカース機関銃
車体武装:7.7mmヴィッカース機関銃
装甲:9-14mm(1,2号車), 14mm(3号車)

・参考文献
Rickard, J (22 February 2012), Medium Tank A7 , http://www.historyofwar.org/articles/weapons_medium_tank_A7.html
http://aviarmor.net/tww2/tanks/gb/medium_a7.htm 
http://www.tankarchives.ca/2019/01/the-first-cruiser.html
https://warspot.ru/10393-pervyy-kreyserskiy

コメント