後のM18ヘルキャットであるT49GMCと並列して開発されていたGMC。
T49が旋回砲塔であるのに対し、こちらは固定戦闘室となっているのが特徴。
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開発の歴史は1941年秋、米軍がM3軽戦車の車体に76mm砲を搭載した軽戦車駆逐車を開発しようとした時まで遡る。
これはT56/T57として完成し、試験されたのだが、やはり車体に対して搭載砲が大きすぎ、致命的な整備性の悪さなどが嫌われて開発が打ち切られた。


そんな中、後のM22ローカスト空挺戦車であるT9軽戦車が完成し、その車体を利用したT42GMCの開発が始まった。
当初搭載砲は37mm砲で十分とされたため、火力自体は戦車型と大差なく、せいぜい砲塔がオープントップになって偵察がし易い程度のものだった。

その後紆余曲折を経てT9軽戦車の原型をほぼ留めないほど仕様が変更され、更に1942年には主砲をイギリスの6ポンド砲(をライセンス生産したM1)に変更せよとの要求が出された。
当然この要求は車体のさらなる仕様変更をもたらし、結局T42GMCは無かったことにされてしまった。

そこで代わりに提案されたのが57mm GMC T49であり、これが76 mm GMC T67を経てM18ヘルキャットへと繋がっていく。
一方、今回の主役であるT50は1942年5月から6月にかけて検討されたT49の代替案であり、旋回砲塔を廃してより大口径の76mm砲を搭載することになっていた。
しかしこの設計はトップヘビーで安定性に欠け、防盾がないので防御力に不安があり、そのくせ射界に左右15度ずつまでと制限がある問題児だった。
結果、試作にすら至らず計画は却下されている。
・参考

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