WarThunderに実装されている、ある双発機について紹介してみる
ロシア語文献は完全に読み込んだわけじゃないから間違ってるとこあったらごめんね
やたら名称が多いけど最終的にYak-4爆撃機になったよ
I-29(戦闘機)もBB-22(爆撃機)もR-12(偵察機)もYak-2(偵察/爆撃機)も元々はYa-22(非武装のプロトタイプ)という機体をベースに開発されたもので、1938年にソ連空軍が(万能双発機とかいう当時の流行りに乗って)提示した多目的二〜三座高速戦闘機の開発要件にヤコブレフ設計局が答えたもの
当時としては航空力学的に洗練された片持ち低翼の単葉機で、960馬力の液冷V型12気筒エンジン(M-103A)二基で飛行する
胴体前方はジュラルミンで、それ以外は鋼管布張り構造と木材で構成されている
また当時の複座双発機としては珍しく、コックピットと銃手兼航法士席がかなり離れて配置されているのが特徴
なおこの配置は銃座の射角にかなり悪影響を与え、後に見直されることになる
これをベースに長距離護衛戦闘機(I-29)、短距離爆撃機(BB-22)、戦術偵察機(R-12)の3つのバージョンがそれぞれ提出された1939年2月にはI-29の飛行試験が、それに続いてすぐBB-22とR-12の飛行試験が行なわれた
I-29は単座の戦闘機とされ、胴体下に20 mm ShVAK機関砲を二門、機首に7.62 mm ShKAS機関銃を一門、両エンジンナセルに軸内機関銃としてShKAS機関銃を一門ずつ装備していた
資料によってはShKAS機関銃は後に取り外されたとか、後部銃手が配置されたとか言われているけどよくわからない
とりあえずairwar.ruさん曰く、最初はShKASも積んでいたけど最終的には20 mm ShVAK 2門となっていて、実際に提示されている写真を見る限り機首にもエンジンカウルにも機銃がありそうな穴は見当たらない
BB-22は後にYak-2となる複座の短距離爆撃機で、予定では合計400 kgまでの爆装が可能だった
I-29ではコックピットの後方すぐに燃料タンクが配置されていたが、BB-22では爆弾倉がその位置にあり、燃料タンクは主翼内に搭載された
しかも配置箇所は主翼の外側よりだった為、被弾から容易に出火に繋がるようになってしまい前線爆撃機としての価値を下げてしまう事になる
爆弾倉には8×50 kg爆弾または4×100 kgまたは小型爆弾の容器を収める事が可能で、加えて翼下外部ラックに2個までの50 kgまたは100 kg爆弾を搭載できた
爆弾倉に爆弾の代わりに写真偵察用のカメラ3つ(と20 kg爆弾*8)を格納したものがR-12偵察機となる
試験の結果、いずれの派生形もエンジンの冷却システムが不十分なもので、またブレーキや燃料計も信頼性に欠けることが判明した(一部資料では着陸速度の速さや機首とエンジンの位置関係による視界の悪さも指摘されている)
それでも当時のソ連の多発機の中では最も高速(567 km/h)かつ、実用上限高度も高かった
この試験結果(と同期の双発戦闘機の惨状)を受けたスターリンの提言で戦闘機型と偵察機型の開発が中止され、爆撃機型のみ開発が進められることになった
この時コックピットよりかなり後方にあった銃手兼航法士席はコックピット直後に移動され、武装は固定武装として機首に7.62 mm ShKAS一丁、後方旋回銃に7.62 mm ShKAS一丁に改められた
また銃座の射界を確保するため、キャノピーと胴体の形状も見直されている
そんなこんなで再設計を受けたBB-22は以前より総重量が357 kg増加していたにも関わらず燃料搭載量が減少しており、最高速も515 km/hに低下していた
またエンジンの冷却システムは相変わらず不十分で、ランディングギアの強度不足も発覚した
このためテストでは「400 kg(8*50 kg)の爆弾を積んだ状態で飛行するのは危険」という結論に至り、軍部を失望させた
これを受けてランディングギアは単輪から二輪に置き換えられ、胴体上部を改装。
さらに工作精度の高い工場に生産拠点を移すことで速度を10~20 km向上させることに成功した
この改修が終わる頃から名称がYak-2となっている(BB-22と名称が併用されたかは不明
Yak-4はYak-2の微改修型で、初期にはBB-12 bisと呼ばれた
エンジンは1100馬力のM-105に変更され、形状も空力的に見直されたものになった
その結果、最高速度も533 km/hまで持ち直している
Yak-2とYak-4は合計で201機という極少数が生産されたが、1941年にはPe-2が初飛行に成功したもんだから無事イラナイコ宣言を受けることになったらしい
特にYak-4の量産型では重量の増加で使い物にならなかったという話もあった
おまけに最大600 kgと爆装量が少ない上に、「主翼外側に燃料タンクのある機体で近接航空支援なんざ危なっかしくでできるか(意訳」と後方任務や偵察に回されたそうな
独ソ戦が始まると、運用されていた73機のYak-2は偵察に使用され、その殆どが初期の戦闘で撃破されてしまったという
以下諸元
・Yak-2
初飛行:1939年
運用開始:1940年
製造数:111
翼幅:14.00 m
全長:9.34 m
翼面積:29.40 m^2
空虚重量:4000 kg
標準離陸重量:5380 kg
エンジン:PD M-103(960馬力)二基
最高時速:515 km/h
巡航速度:
実用航続距離:850 km上昇率:毎分650 m
実用上限高度:8900 m
乗員:2~3名
武装:2× 7.62 mm ShKAS(機首固定*1,後方旋回*1)
爆装:600 kg までの爆弾(通常はFAB-100*6)、計画値では900 kgまで
・I-29
翼幅:14.00 m
全長:10.18 m
翼面積:29.40 m^2
空虚重量:3796 kg
標準離陸重量:5023 kg
エンジン: PD M-105(1100馬力)二基
最高時速:567(高空),488(地面高度) km/h
実用航続距離:1050 km上昇率:毎分650 m
実用上限高度:10800 m
乗員:1名
武装:2× 20 mm ShVAK(胴体下面、各300発)
・Yak-4
初飛行:1940年
運用開始:1941年
退役:1945年
製造数:90
翼幅:14.00 m
全長:10.18 m
翼面積:29.40 m^2
空虚重量:4560 kg
標準離陸重量:5845 kg
最大離陸重量:6115 kg
エンジン:PD M-105(1100馬力)二基
最高時速:533 km/h
巡航速度:545 km/h
実用航続距離:925 km
上昇率:毎分920 m
実用上限高度:9700 m(9500-10000)
乗員:2名
武装:2 or 3× 7.62 mm ShKAS(機首固定*1,後方旋回*1)
※脚注:多分後部銃座が単装だったり連装だったりする
爆装:400-800 kgの爆弾(FAB-100*4 or FAB-250*2)
またYak-2の派生型として二種の試作機が開発された
片方は地上攻撃機型のYak-2KABBで、この機体は機首にShKAS二丁、胴体下方にShVAK二門を備えていたらしい
WTのおかげで本家のYak-2より知名度が高いが、あくまでこちらは派生型
資料が少なく詳細は不明だが、機首は見渡しが良いようにガラス張りになっている(≒被弾に弱い
性能自体は悪くなかったが、独ソ戦勃発で開発中止
諸元は以下の通り
・Yak-2 KABB
翼幅:14.00 m
全長:9.34 m
翼面積:29.40 m^2
空虚重量:3800 kg
標準離陸重量:5130 kg
エンジン:PD M-103(960馬力)二基
最高時速:520 km/h
巡航速度:468 km/h
実用航続距離:850 km
実用上限高度:8800 m
乗員:1武装:2× 20 mm ShVAK(各銃300発)、2× 7.62 mm ShKAS(各銃1000)
爆装: 20 x AO-8/AO-20(20 kg爆弾)または4× FAB-50(50 kg爆弾)/FAB-100(100 kg爆弾)
もう一方は急降下爆撃機型のBPB-22で、計画では高度5000 mで最高時速570 km/hを発揮し、行動半径は1200 km
四個の100 kg爆弾か二個の250 kg爆弾を搭載し、急降下時にはダイブブレーキを使う事で560 km/hを超えないようにしていた
1940年に初飛行を行なった際には5962 kgの機体重量で高度5000 mで最高時速533 km/hを示し、爆弾(脚注:おそらく爆弾を想定した錘)の投下後には558 km/hまで向上したという
その後同年10月の終わりに行なわれた試験飛行中に墜落し、BB-22自体の問題も合わさって開発計画は中止された
・参考/画像
http://www.aviastar.org/air/russia/ya-22.php
https://en.wikipedia.org/wiki/Yakovlev_Yak-2http://www.airwar.ru/enc/fww2/i29.html
http://www.airwar.ru/enc/aww2/yak2kabb.html
http://www.airwar.ru/enc/bww2/yak2.html
http://www.airwar.ru/enc/bww2/yak4.htmlhttp://military.sakura.ne.jp/world/w_yak2.htm
https://military.wikireading.ru/62425
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