結論から言うと、実戦投入されたわけではないらしい

これは「博物館に展示されていた菱形戦車がベルリン攻防戦に投入され、撃破された」と説明されることが多い写真だが、どうも今回見つけた文献によると事情が少々異なるらしい。
なお時々Mk.I戦車と説明されているが、文献によるとMk.V戦車とのこと。

そもそもこれら二輌のMk.V戦車は第一次世界大戦中にドイツ軍が鹵獲したものである証拠はなく、どちらかと言うとロシア革命で使用・鹵獲されてソ連の博物館に展示されていた個体である可能性が高いという。
また実戦に投入した可能性も低く、単に屋外に展示していた車両が戦闘に巻き込まれて破壊された可能性が高いらしい。

つまりイギリスから内戦中のロシアに送られたMk.V戦車がソ連の博物館に展示され、それが独ソ戦の戦利品としてドイツに持ち帰られ屋外に展示されて、最終的に戦闘に巻き込まれて破壊され写真に残された結果「ベルリン攻防戦に菱形戦車が投入された」という話になったのだと言う。
要するに兵器として実戦に参加したわけではなく、単なる置物だった可能性が高いようだ。

ただし第二次世界大戦に菱形戦車が投入された事実がないわけではなく、1941年にエストニアのタリンで使用されている。
しかしそれは現地に自走不能な状態で放置されていたMk.V戦車をダグインさせてトーチカ代わりにしただけであり、戦闘に参加した記録も残っていない。
従ってベルリンにおいても、もしかするとトーチカ代わりに使った可能性は否定できない。
それでも置物であることに代わりはないかもしれないが…
なおエストニアのMk.V戦車はドイツ軍によってスクラップ&溶解され、資源として再利用されたと言われている。

なおこの写真の背景にある建物は1944年5月24日の爆撃で焼失したベルリン大聖堂であり、この爆撃によって戦車が破損した可能性もあるとのこと。
結局は謎に包まれた写真であるが、ただでさえ無い資源を使ってわざわざ骨董品の菱形戦車を運用可能な状態に保つとは考え難いか

・参考
https://web.archive.org/web/20090105071915/http://beute.narod.ru/Beutepanzer/uk/MK_V/Mk_V.htm

・エストニアの菱形戦車


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