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ある日のラビットハウス
業務時間を終え、帰宅するリゼを見送ったココアとチノの二人は、夜のバー営業の準備にやってくるはずのチノの父、タカヒロを待っていた
「お父さん遅いね」
「どうしたんでしょう…ちょっと様子を見に行ってみます」
「待って、私も行くよ!」
二人が部屋を訪れると、そこにはベッドに臥せるタカヒロの姿があった
「お父さん!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
その声にタカヒロはうっすらと目を開ける
「ああ、チノか…それにココアくんも」
「どうしたんですか一体…!?」
驚きを隠せないココア
「すまない、どうやら風邪をひいてしまったようだ…」
タカヒロは言いながらベッドに手を突き起き上がろうとするも、力無く崩れ落ちてしまう
「無理しないでください」
慌てて駆け寄るチノ
「はは、参ったよ…これでは薬も飲めやしない」
「私、薬箱とお水取って来ます!」
言うが早いか、ココアは駆け出す
「チノ、すまないが店の入り口に臨時休業の札を出しておいてくれないか」
「はい。それより身体は大丈夫ですか…?お医者様に診てもらった方が…」
バーの営業より自分の身を案ずる娘の姿に、タカヒロは一瞬口元を綻ばせる
「そうだな…一晩寝て快復しなければ、そうするとしよう。…心配かけてすまない」
「いえ、その…お大事にしてください」
その後、持ってきた薬を飲ませ、二人は部屋を後にした
「お父さん大丈夫かな…」
「心配です。お店は1日くらいどうとでもなりますけど、身体に代えは利きませんから…」
「チノちゃん…」
不安を露わにするチノを見て、ココアは頭を巡らせる
何か励ませるようなことはないものか
「お店…そうだ、お店だよ!」
「な、なんですかいきなり…?」
「チノちゃん、私達でバーをやろう!」
「はい…?」
突然の提案に困惑するチノに、ココアは続ける
「ほら、お店の心配がなければ、その分お父さんもゆっくり休めるはずだよ!だから…ね?」
「『ね?』じゃないです!だいたい私達未成年なのに、どうやってお酒出すんですか!」
「あっ…そっか…」
「ココアさん、本当に弁護士目指してるんですよね…?」
チノの指摘に言葉を詰まらせるココア
呆れながらも、その姿にチノは何かを察する
(ココアさん、もしかして私を元気づけようとして…?いや、いつもの能天気という可能性も…)
「お酒出さないと吹き矢だけのバーになっちゃう…飲食店としてそれはさすがに…」
思案するチノをよそに、ココアは考えを漏らす
「飲食店…そうです!」
「なに、チノちゃんも何か思い付いたの?」
「あっ…はい」
半ば無意識に出た言葉への返答に戸惑うチノ
「なになに、教えて?」
「…わかりました。問題は私達がお酒を出せないということにあります」
「うんうん」
ココアは楽しげに相槌をうちつつ耳を傾ける
「ならお酒以外の飲食物を提供すれば良いのです。ラビットハウス、ナイトタイム喫茶です!」
「おおーっ!ナイトタイム喫茶!」
いつも通りのオーバー気味なリアクションに、チノの表情が少しだけ緩む
「あ、でもまだやると決めたわけじゃ…」
「ナイトタイム喫茶…普段とは違う雰囲気のラビットハウス…うん!いいよ…良い!早速準備するね!」
そう声を上げたココアの行動は早かった
先刻脱いだ制服に再び袖を通し、手際良く開店の準備を進めていく
「あ、あの…」
呆気に取られるチノを横目に、残る準備は『準備中』の札を裏返すのみとなっていた
「さぁチノちゃん、準備できたよ!」
「…まったく、ココアさんは本当にしょうがないココアさんです」
そう言って札を『営業中』へと翻すチノ
その口元から笑みが溢れていたことは、本人すらも気付いていなかった
「あ、でも深夜営業にならないように、日が変わるまでには店を閉めますよ」
「了解っ!さて、コーヒーたくさん飲んで寝ないようにしなきゃ!」
「トイレ、近くなりますよ…」
それから半刻ほど
客が来る気配は無く、店内は夜の静けさに包まれていた
「静かだね…」
「静かです。時計の針が動く音が聞こえるようです…」
「なにか音楽でもかけようか」
あまりの静けさに居心地の悪さを感じたココアの提案に、チノはしばし思案を巡らせる
「音楽…ですか。そういえば、昔このお店の経営が傾きかけた時、ジャズのおかげで復活したという話を聞いたことがあります」
「うん、じゃあジャズにしよう!ようし…」
備え付けの音響機器を弄り始めるココアだが、すぐにその手が止まる
「ココアさん、もしかして…」
「えへへ…ジャズってどんなのだっけ?」
「やれやれです…代わってください。確か…」
チノが小慣れた手付きで操作をすると、店内に往年の名盤が流れ始める
「おおー、チノちゃんすごい!」
「以前父に教わった通りやっただけで…別にすごくなんてないです」
「そんなことないよ、すごいすごい」
そう言ってチノの頭を撫でようとするココアだったが、それを妨げる存在に気付いた
「そういえばティッピー…昼も夜も店番してるけど、一体いつ寝てるの…?」
「年寄りの寝る時間は適当で大丈夫なんじゃよ」
ティッピーが喋るのに合わせ、チノはいつも通り口に手を当てる
「うーん…ま、いっか」
適当にココアが納得すると、店内から再び話し声が絶える
静寂の中、ジャズだけが緩やかに流れるラビットハウス
日々見慣れているはずの風景が、普段とは違う雰囲気を纏っていた
しばしそれを堪能する二人だったが、ふとココアが口を開く
「…昼間のラビットハウスとは、なんだか違う雰囲気だね」
「…そうですね」
「こんな雰囲気だし、お酒…開けちゃう?」
「寝言は寝てから言ってください」
「厳しい!?」
他愛ないやり取り終え、沈黙が続いて訪れるかに思えたその時
店の扉が開き、見慣れた人物の姿が現れる
「あらー?素敵な音色に誘われて来てみれば、普段とは違うマスターさん達がー」
「青山さん!」
それは青山ブルーマウンテンその人だった
「いらっしゃいませ…もしかして父にご用事ですか?」
「いえ、実は少し原稿に行き詰まってしまって…インスピレーションを求めて夜の街に繰り出してみたんですよ」
「なるほど…」
念のため確認したチノは、その答えに胸をなで下ろす
「あ、お好きな席にどうぞ!」
「では~」
窓際の席に陣取り、メニューを手に取る青山
「あら、メニューはお昼と同じなんですね」
「ナイトタイム喫茶ですから!」
「もしかして、バーは辞めてしまったんですか?」
「いえ、実は…」
首を傾げる青山に、チノはこれまでの経緯を説明する
「まぁ、そんなことが…よろしければ、私がバーテンダーを務めましょうか?」
「え、青山さんバーテンダーできるんですか!?」
「はいー。実は何度かここでバイトをさせていただいてるんですよ?」
「どうする、チノちゃん…?」
「…いえ。」
そう言って、チノは首を横に降る
「お言葉は嬉しいですし、確かに青山さんにはここでバーテンダーをしてもらったこともあります。でも今日のラビットハウスはナイトタイム喫茶で、青山さんはそのお客さんです」
「あら…うふふ、そうでしたね」
チノの毅然とした態度に、青山は満面の笑みを浮かべる
「チノちゃん…いい子いい子~」
「うわぁっ、なんですかココアさん!?やめてください」
衝動を抑え切れず、突如チノに抱きつくココア
チノは引き剥がそうとするが、力及ばず成功する気配がない
「ふふっ、小さいけどしっかり者の店長さんと、歳上でマイペースの店員さん…なんだかインスピレーションが湧いてきます」
「え、何か言いました?ふがっ…」
青山に注意が一瞬逸れた隙を見逃さず、チノはティッピーをココアの顔面に押し付けて脱出する
「いえ、そろそろ注文をと思っただけです」
「ココアさん、ご注文です。しっかり取ってきてください」
「はーい…」
結局、その晩の客は青山ただ一人であった
時計の針は長短共に天辺に近付き、二人は片付けを始めていた
「念のため臨時休業のお知らせを…よし、これで大丈夫です」
「チノちゃん、こっちは全部片付いたよ!」
「では、本日の営業…終了です」
全ての片付けを終えた二人は、店の奥の自宅へ帰っていく
「結局、お客さんは青山さんだけだったね」
「一人来てくれただけでもありがたいです。もし誰も来てくれなかったら、どうしようかと…」
「あはは…」
チノの深刻な表情に、苦笑いするココア
「でも楽しかったね。なんだか新鮮な感じがして…」
「そう…ですね」
他愛もない話を続けながら、寝る支度を済ませていった
その様子に、そっと耳を傾ける者が一人
「どうやら、無事に終わったようだな…」
そう呟いたタカヒロは、懐から電話を取り出す
「もしもし、今日は急に呼び立ててすまなかったな…」
「いいさ、病に臥せる旧友の頼みだ。それに娘の友人達に万が一のことがあっては困るしな」
電話の相手はリゼの父、こっそり外からの見守りを依頼した旧友だ
「借りができてしまったな…今度一杯奢らせてくれ」
「ああ、楽しみにしてるよ。では、お大事に」
切れた電話をしまうと、タカヒロは静かに瞼を閉じる
そして姉妹のような二人のやり取りに、再び耳を傾けながら眠りに落ちていく
こうしてラビットハウスの長い1日は終わりを迎え、翌日にはまたいつもの日常を取り戻すのであった
筆者:ストロー
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