グリレ10(Grille 10)、Pz.Sfl. IVc、Versuchsflakwagen

対空砲

WoTでは「Pz.Sfl. IVc」、WTでは「Versuchsflakwagen」と呼ばれる車輌は、もともと「Grille 10」という車輌の計画だったらしいって記事。
※追記2021/05/01:新しい参考文献を元に記事を更新しました。

http://blog.tankpedia.org/ より

「Sfl.IVc」または「Grille10」は「8.8cm Flak 37 auf Sonderfahrgestell(special purpose built vehicle:特務試作車といったところか)」、または「Flakpanzer für s FlaK (Pz. Sfl. IVc)」とも呼ばれ、1941年から開発がスタートした8.8cm対空/対戦車砲用のドイツの機動砲プラットフォームであった。

https://warspot.ru/10540-samohodnyy-lafet-i-zenitka-raskladushka より
http://blog.tankpedia.org/ より

当初、グリレ10はマジノ線を突破するための対トーチカ車輌として、8.8cm FlaK 18 L/56に機動力を持たせる計画だった。しかし1940年6月にフランスが降伏しマジノ線突破用兵器の必要性が薄れると、対戦車自走砲とすべく仕様が変更された。
その後、同口径の8.8cm Pak43を搭載するナースホルン対戦車自走砲の成功によって対戦車自走砲としての必要性も薄れると、並行して進められていた自走対空砲とする開発計画のみが残り、これのみがクルップ社によって製造された。
…つまり元々高射砲だった8.8cm FlaKの貫通力に注目して対トーチカ自走砲や対戦車自走砲にしようとしたが、結局対空砲に先祖返りしたって経緯らしい。ややこしい

http://blog.tankpedia.org/ より
http://blog.tankpedia.org/ より

基本的な車両構成は8人の乗員を乗せ、重さは26トン。 高さ2.8メートル、幅3メートル、長さ7メートルだった。 エンジンはマイバッハHL90を搭載していた。 砲塔(?)は強いて言うならオープントップで、両側の側壁が下がってプラットホームになる構造だった。 しかし側壁を上げれば乗組員をある程度(小銃弾や弾片から)保護することもできた。また正面は砲の防盾によって常に守られていた。また車体はIV号戦車の車体をベースに大規模な改造を加えて作られたものだった。

対戦車自走砲としてのPz.Sfl. IVc https://warspot.ru/10540-samohodnyy-lafet-i-zenitka-raskladushka より
http://blog.tankpedia.org/ より

8.8cm K(PzSfl) auf Sonderfahrgestellとして指定されたオリジナルの対戦車車輌は、88mm Pak 43 砲を搭載する予定だったが、木製のモックアップのみが搭載された。1942年末には3台の試作機が製造され、8.8cm Flak37を搭載した型は「Versuchsflakwagen fur 8.8cm Flak37」、1944年に88mm Flak41を搭載した型は「Versuchsflakwagen fur 8.8cm Flak41」と命名された。 1944年に88mm Flak 41砲を搭載した型は「Versuchsflakwagen fur 8.8cm Flak 41」と命名された。88mm Flak 37で武装された個体の一つはイタリアに送られ、運用された。

http://blog.tankpedia.org/ より
http://blog.tankpedia.org/ より

…というわけで対空車両としての名称は各種 「Versuchsflakwagen」 が適切っぽい。逆にグリレ10や 「Pz.Sfl. IVc」 の名は対トーチカ車両や対戦車車両としては適切になるか。

http://blog.tankpedia.org/ より
http://blog.tankpedia.org/ より

・参考文献
http://www.ww2incolor.com/german-artillery/gr10_5.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Grille_10

Самоходный лафет и зенитка-раскладушка
Pz.Sfl.IVc и другие необычные самоходные артиллерийские установки на базе Pz.Kpfw.IV

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